鬼婆化する女たち

「立つ春や家も建たずに老いにけり」牧童

恵方巻きの話を書こうと想いつつ、時が過ぎてしまった。今ごろ書くのは阿呆巻みたいだが、来年を待つには年を取りすぎた。

恵方巻などという風習は最近までなかったのに、いつの間にか当たり前のように太巻が店に山積みされる。冬鰻の日もあるらしい。いずれ365日、なんらかの食い物デーになるだろう。
6月9日(69の日)、9月1日(くのいち、女の日)は祭日にしよう。

節分と言えば豆まき。年の数だけ豆を食えと教えられ、豆を入れて沸かした豆茶を飲んだり、豆茶の後の柔らかくなった豆に塩をかけて食べたものだ。

以前『オニババ化する女たち』(三砂ちづる)が話題になったことがある。結婚や出産しない女は女としての機能を失い、オニババ化するというのだ。もし厚生労働大臣が、赤ちゃんを生まないような女はオニババになるぞと叫んだら袋だたきにあうだろう。
結婚していても、出産していても、オニババ化した女が実に多い。愛と潤いを失った女たちはオニババ化していくだけだ。

ところで皆さんは豆まきの由来をご存じだろうか?
豆まきは実はオニババ追放の儀式だったのだ。
「鬼は外、鬼は外、福は内」には「オニババのような母ちゃんは家から出ていけ!オニババなんかとっとと出ていけ!福の神のような母ちゃんだけ、家に戻ってきてくれ!」という願いが込められているのだ。オニババが怖くて普段は言えない亭主や子供たちが、節分の日だけは正々堂々と「オニババのような母ちゃんはとっとと出ていけ!」と大声で叫ぶことが許された日だったのだ。
さらに先人は賢い。
女性ホルモン様物質イソフラボンを含有している大豆を年の数だけ女に食べさせ、オニババを福の神に変身させようと試みたのだ。

これが豆まきの真相である。
「豆まきはオニババ追放のための儀式だ」という説は僕の創作だからまだ広まっていない。しかし、これを読んだ皆さんが広く伝えてくれれば、恵方巻が市民権を得たように、僕の説もあたかも古来から言い伝えられてきたかのように教科書に記載されるだろう