気になる木

「悩むふりしても会えない明日の春」牧童

知人が肝臓ガンで死んだ。まだ52歳だった。50代の死について同世代で話し合ってみると、僕が思っている以上に50代で多くの方が死んでいるようだ。
僕はもうすぐ62歳。現実としての死が身近に忍び寄ってくるのだろう。
生きることに対し今はそれほど執着、未練はないし、僕が死んだら誰かが困るというわけでもないから、いつ死んでも問題はないが、できれば激痛は避けたい。
緩和ケアはモルヒネ投与による苦痛の軽減に加え、最近はかなりメンタル面を重視しているようだ。現代医療のドクターたちの発言の中に、医者というよりまるで宗教家のような心のあり方を語る人も多くなってきた。現代医療の限界に医師たち自身が気付き、まるで失望しているようだ。日本では牧師などの宗教家の存在が希薄だが、本来は医師は医師としての研鑽を積み、宗教家の領域を侵すべきではないと僕は思っている。

メンタル面での緩和ケアは「気になること」を探り出し、その思いを薄めようとするらしい。
死の宣告を受けた時、僕は気になること、気がかりなことが何も想い浮かんでこないのだ。これって哀しいけど想い浮かんでこない。

突然、あの歌が浮かんできた。

この木なんの木 気になる木
名前も知らない 木ですから
名前も知らない木になるでしょう

この木なんの木 気になる木
見たこともない 木ですから
見たこともない花が咲くでしょう

この歌を歌いながら、にゃっと笑って死ねたらいいな。