桜と女の下着論

(ーー;)下着はがしてのぞいてごらん
人にゃ見せない素の私

桜の季節がやってきた。入学式を9月しようという動きがあるが、日本の新年度は4月、桜の季節がいい。

「桜という字を分解すれば二階の女が気にかかる」

という都々逸がある。桜の旧字体は櫻。櫻の字の中に貝が二つ並んでいるから二貝で二階。そてし女が木(気)にかかるとなる。

二階の女と聞いて、どこまで妖艶な世界を思い描けるかによって、この都々逸の味わいが変わってくる。二階建ての二階の窓に腰をかけ、虚ろに空を眺めている女は魅惑的だ。

桜は春に一斉に咲き、すぐに散っていくからいい。これが真冬や真夏、秋に咲いていたら花見の様子も変わってしまう。
桜のさらなる魅力の秘密は視線にあると私は考えている。地に咲く花を見る時はうつむきながら、視点が固定されている。その点、桜には程よい高さがあり、上を向くことになる。また視線が桜並木とともに広がり、散る花びらとともに舞う。この動きが心の躍動感を強め、春の訪れによる高揚感を高めてくれる。

桜が咲いていた。桜を見上げると、ちょうど二階あたりになる。二階の窓辺から桜を眺めていた女と視線があう。恥ずかしくなり、風に舞う花びらを追うように視線をそらす。物干し台に干されていた女の下着を男の視線がとらえる。それに気づいた女は桜のように頬を赤らめ、下着を取り込みに走る。

櫻という文字を分解しただけの都々逸でもあれやこれやの妄想を楽しめる。

桜もいいが、干されている女の下着もよいものだ。水着みたいな下着より下着らしい下着がいい。最近はユニットバスに乾燥設備が付いていて、太陽にさらされないまま終ってしまう下着も多くなってきた。まるで飾られないまま棚の中にしまいこまれた雛人形のようだ。