流されちまえよ

「汚さずにとっとと失せろ冬の糞」牧童

ここ数日、あちこちでトイレ話を楽しんでいる。トイレや便の話は面白い。

汚すつもりはないが、汚れてしまうトイレ。
いつまでも、こそこそと便器にしがみついている糞を見ていると、我が分身であっても非常にむかつく。ましてや憎い亭主の糞など許しがたい存在なのだろう。

流されまいと、いつまでもへばりついていないで、とっとと流されちまったほうが、互いにすっきりするのに、それができない。まるで人生のようだ。

駅などの公衆トイレがきれいになった。トイレットペーパーがある!変な紙を流されると詰まってしまい、かえって経費がかかるらしい。
水も自動的にふんだんに流れてくる。流し忘れ対策なのだろうが、センサーが敏感過ぎて、頼みもしないのに流れ出してくるときがある。

トイレに入ると自動的に電気がつく。出れば消える。ところが、このセンサー、人の動きがないと誰もいないと錯覚して消灯してしまう。長時間滞在派の僕が動かずにいると、勝手に消されてしまう。あわてて便座に座ったまま、電気をつけようと動く様は滑稽である。

古い時代から生きてきた僕は、この当たり前のことが、まだ当たり前だとは思えないでいる。

先日、駅の洋式トイレに入っていたら、突然、水が勢いよく流れ、尻に跳ね返った。汲取り式の頃は、おつりと言って、便をするとポチャリと跳ね返って来た。あの時とは違う不快感が尻を襲った。

その日は女を抱く気になれなかった。