贅沢な笑顔

「初夏なのに笑えぬままに日が暮れて」牧童

一日に
たった一回でいい
笑顔になれる
ひと時がほしい

たったこれだけの願いなのに
どうしてなんだろう

手が届かない贅沢


「梅雨入りや茶漬け食う音部屋一人」牧童

無性に書きたくなったり、書く気力が湧いてこなかったりを繰り返している。
若い頃にも気分の浮き沈みはあった。若い頃は躁と鬱との段差が激しく、しかも急激に変化していた。書かずにはいられない衝動に襲われたかと思えば、数分後には無気力になり、うずくまっていると、また走りだしたくなる。これを一日24時間の間に何度も繰返していた。

老いはじめた今でも躁鬱はやってくるのだが、高揚期と停滞期との格差が少なくなり、周囲には気付かれず、日々変わりばえしない存在となっている。こまめに急変することもなく、無気力状態がだらだらと続き、なんとなく元気が出そうかなと思うと、まただらだらと鬱陶しい月と日が流れていく。

鬱陶しくても腹はへる。そろそろ茶漬けでも食べよう。
茶漬けといっても熱いお茶ではなく、ご飯に氷と水をぶっかけて、キムチでかっ込む。これがたまらなく美味いのだ。

酒飲みの僕はあまり米を食べない。つまみと酒で済すことが多い。それでも時々は米が食べたくなる。毎日炊くのは面倒だからまとめて炊く。そして冷や飯に水をかけてかっ込むのだ。冷や飯はインスタントラーメンのように固まっている塊にそのまま水をかけて食べていた。
ある雑誌に冷や飯で茶漬けをする場合、ご飯を水で洗い、塊をほぐし、ぬめりをとりましょうと書いてあった。さっそく試してみると確かに美味くなる。ちょっとした工夫と手間をかけるだけで差がでる。

人生も然りだ。

手間をかけるといっても水洗いするだけのこと。たまには涙で心を洗えば人生も旨味が増すかもしれない。