私、待つわ

今年もまたクリスマスがやってきた。僕はクリスマスケーキよりシュトレンが大好きで、この季節になると無性に食べたくなる。シュトレンは生地にドライフルーツやナッツが練りこまれており、表面には砂糖がまぶされている。あのずっしり感がたまらない。ドイツではクリスマスを待つアドベントイエス・キリストの降誕を待ち望む期間)の間、少しずつスライスして食べる習慣があるそうだ。フルーツの風味などが日ごとにパンへ移っていくため今日よりも明日、明日よりもあさってと味わいが増し、近づくクリスマスを待つ楽しみがより深まってくる。
「もういくつ寝るとお正月」という歌があるが、これでは寝て待つというだけで今ひとつ演出にかけている。

若い頃の僕はいつも何かを待っていたような気がする。僕のことを誰かが待っていてもくれたはずだ。
だんだん「待つ」ことから遠のいてしまったようだ。

「松という字を分析すれば君と僕との差し向かい」

という都々逸がある。ちょっとわかりにくい都々逸ではあるが、松という字は「木と公」とで出来ており、「木」はボクとも読むので「僕」になり、「公」はキミとも読むので「君」となる。
松の木の下で君を待っている僕。今は一人ぼっちではあるが寂しくなんかない。だって待っている間も君と差し向かっているようでわくわくしてくる。そんな都々逸である。

待ち合わせ場所で、あなたは何時間待っていられますか?
以前はこんな質問をよく聞かれたものだが、携帯の普及で待つことが少なくなった。
クリスマスプレゼントを抱え、駅で何時間も待っていたことがあった。この時は結局は振られてしまったのだが、僕は待つことが嫌ではない。待ちながら妄想がどんどん膨らんでいくのが楽しいのだ。携帯がない時代とはいえ公衆電話から彼女の家に電話はできたのだが、もし電話して彼女が出てきたら悲し過ぎるじゃないか。当時、駅には伝言板があって、それに「ずっとずっと待っていたけど、さようなら」と書いておいた。

待ち続けていると、他の誰にも聞こえないのに、彼が来る足音が聞こえるようになったという女がいた。

待つ。
来年は何かを待ってみたくなった。

谷村新司の「いい日旅立ち」の「あゝ日本のどこかに私を待ってる人がいる」
こんな人と出会える日を。

(ーー;)なんでそんなに慌てて来たの
あなた待ってる時が好き
牧童