老いても隠せない性への想い

    若い時はどんな表現をしてみても、それを浄化する力が自然に備わっているものだが、老いてからの性的表現は余程気をつけて行わないと下品なものになり、老醜を晒すことになる。老醜と言われるように、老いてゆく現実は醜なのだ。
    都々逸だからといって何も無理に性的な表現にこだわる必要もないし、爽やかな世界を唄えばいいのだが、幾つになっても隠し切れない助平心が疼いているのも確かだ。
    老いてきたら露骨な性的表現は避け、エロさは意識的に出すものではなく、心の艶として自然とにじみ出るものがいい。
    心の艶は年齢には関係ない。