文字がなければ愛せない

    都々逸は粋な言葉遊びだから、懸詞や二重の意味を持たせたり、駄洒落なども大切な要素にる。ただし文字を介在させずに音だけで、また注釈なしで相手にわかるものがよいとされている。
    都々逸の優れた作品の多くが作者不詳まま残されてきたのは文字に頼らない口承文学だったからでもある。この点からみても都々逸は短歌や俳句よりも女性的であり、文学としてではなく芸として語り継がれてきたものなのだ。
    しかし僕にとっての都々逸は音声よりも短歌や俳句と同様に文字の世界であり、文字がなければ都々逸は作れない。
    これからの都々逸は文字による創作の世界として存在していけばいい。我が国の携帯やネットの世界でさえ日本語の表記による文化であり、これから先の未来においても、日本語の文字による世界が消滅しない限り、都々逸も不滅だ。